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【ロシア・ウクライナ】これまでの歴史と関係性

ロシア連邦とは

ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和国国家、首都はモスクワ市
面積は約1710万km^2 人口約1億4,593万人
以前はG8の加盟国であったが2014年にクリミア併合を強行したことでG8の参加資格停止に至った。

ロシアの歴史

9世紀
スラヴ人が住んでいた「ルーシ」に北方からノルマン人がやってきてノヴゴロドを支配、その後に統一国家「キエフ公国」成立

13世紀
大陸の東方からモンゴル帝国「チンギス・ハーン」が率いる軍勢がロシア襲来、その後250年近く支配下に置く

14世紀
モスクワ大公国のイワン3世は1480年に独立を導き「イワン4世」が皇帝となりモスクワ中心とした多民族国家ロシア誕生

16世紀
大貴族ミハイル・ロマノフを皇帝とするロマノフ朝が成立、その後ピュートル1世が皇帝の称号を得て「ロシア帝国」誕生

19世紀
「2月革命」によりロマノフ朝がたおされ、「10月革命」により世界初の社会主義政権が成立
ヨーロッパ・アジア諸国の15共和国から成る「ソヴィエト連邦」が樹立

その後は第2次世界大戦やアメリカとの冷戦へて、ソヴィエト連邦が解体され新たに「ロシア連邦」が誕生

ウクライナとは

東ヨーロッパにある国で北にペラルーシ、東にロシア、西にポーランド、スロバキア、ハンガリー、南にルーマニア、モルドバと国境が面しており、首都はキエフ
面積は約60万km^2 人口約4130万人 ヨーロッパで8番目に人口が多い

ウクライナの歴史

8世紀
ウクライナでルーシという国が誕生、東スラヴ人のポリャーネ族の町キエフはその首都になる

14世紀
ウクライナ南部、黒海沿岸にかけてポーランド、リトアニアからの逃亡農奴を中心とした「ウクライナ・コサック集団」が形成
漁労を営みオスマン帝国やクリミア汗国の港町で略奪行為を行った。

16世紀
強大化したコサック集団に対しポーランド政府は統制下に置こうとし衝突が頻発、「ボグダン・フメリニッキー」率いられた
ウクライナ・コサックと全面戦争に発展
「ボグダン・フメリニッキー」は劣勢を挽回するため、ロシア公国にポーランドからの保護を求めた。
ロシアはポーランドと戦い、アンドルソフ講和によりドニエブル右岸はポーランド、左岸及びキエフはロシア領となった。

18世紀 
「エカテリーナ2世」によって完全にロシアの一部とされ、ウクライナ・コサック集団は消滅
クリミア戦争の主戦場となる

19世紀 
「2月革命」後、ウクライナで中央ラーダ政府が誕生、ロシアの臨時政府と自治拡大拡大巡って対立、10月革命を経て
中央ラーダは「ウクライナ人民共和国」を宣言
第3回ウクライナ・ソヴィエト大会でウクライナ社会主義共和国が成立、ソ連邦の構成共和国となる

ソヴィエト連邦が解体されたのに伴いウクライナは独立国となる

ロシアとウクライナの関係

ロシアとウクライナは歴史を遡ると深く関係していることが分かる。

ソビエト連邦の崩壊以降、独立したウクライナとロシア連邦の関係は良好とはいえず、緊張状態が現在まで続いている

・ウクライナは、ロシアとの独立国家共同体(CIS)の結成に関する条約に調印したが、ロシアが望むように正式に独立国家共同体憲章を承認していない。

・両国の間にはソ連の財産継承をめぐる問題が未解決である。

1997年以後、クリミア半島セヴァストポリ市内では、ロシアの黒海艦隊の基地が存在する[1]

2003年9月30日に両国の間にはトゥーズラ島をめぐる国境問題が勃発した。問題は未解決のままである。なお、ソ連以来の両国の国境は存在するが、未だに正式に国境として両国によって決定されていない。

2004年オレンジ革命の際、ウクライナ大統領選挙にロシアが介入したにも拘らず、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ候補が敗北した。以後、5年にわたって両国の間にマスコミにおける情報戦が行われた。また、二つの「ガス紛争」(2005年 – 2006年、2008年 – 2009年)があった。

2008年ロシア・グルジア戦争の際、ウクライナはグルジア側を支援した。

2010年4月21日に親露派のヤヌコーヴィチがウクライナ大統領となり、ハルキウ条約によってロシアとの関係の正常化をはかったが、ガスをめぐる問題は未解決のままである[2]

2010年末に、ロシア政府はロシア国内におけるウクライナ人の最大の市民団体「ウクライナ文花自治体」を廃止し、モスクワにあっ  た唯一のウクライナ文学図書館を「右派急進主義」のために廃館させた。

2011年に第三の「ガス紛争」。ウクライナによるロシアのガスプロムへのガス料金未納問題。

2012年に「チーズ戦争」。ウクライナからロシアへの乳製品の輸出に関する問題。

2014年ウクライナ騒乱によるヤヌコーヴィチ政権の崩壊およびそれに伴い発生したクリミア危機(後述)。

2022年にはウクライナがNATO(北大西洋条約機構)に加盟をしようとしたがロシアが猛反対した。

Wikipedia宇露関係参照

ロシアとウクライナの関係は近年から以前の歴史を見ても良好とはいえず、頻繁に問題が起こっており今回ロシアがウクライナに侵攻したのはおこるべきして起こったという感じもみてとれる。
ロシアがこれからどこまでウクライナに侵攻するかはわからないが欧州の主要国が隣国に侵攻するのは第2次世界大戦以来で初めて出の出来事でこの先どうなっていくのかが世界経済や他の国々にも影響を与えそうである

ウクライナ情勢のニュースはこちら→https://news.yahoo.co.jp/pickup/6419472

最後に

戦争は本当に起きてほしくないと思います。
ウクライナの人たちもロシアの人たちも戦争に反対している人たちがたくさんいるなかでプーチン大統領が侵攻を強行したのは理由はよくわかりませんが、今の時代戦争をしても一部の人に利益がでるだけで不幸になる人のほうが多くなると思うので本当にやめてほしい。

ロシアの侵攻が終結するよう願ってます。


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